那覇地方裁判所 平成2年(行ウ)2号 判決 1992年2月18日
原告
花城清喜
被告
那覇労働基準監督署長宮城盛光
右指定代理人
新垣栄八郎
同
新垣誠栄
同
玉城淳
同
秋本誠
同
下地宏佳
同
宮城吉男
同
島袋正雄
同
比嘉定正
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が昭和五九年七月三一日付けで原告に対してなした労働者災害補償保険法による療養補償給付及び休業補償給付を支給しない旨の処分は、これを取り消す。
第二事案の概要
一 本件は、原告が被告に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく療養補償給付及び休業補償給付を支給しない旨の決定の取消しを求めたものである。
二 争いのない事実等
1 原告(昭和一五年一二月一〇日生)は、琉松化成株式会社(以下「琉松化成」という。)に検査係及び雑役として就労していたところ、昭和五一年八月二六日、(住所略)所在の琉松化成伊佐浜工場構内において、屋根の上で作業中、屋根から転落して負傷した(以下「本件事故」という。)。
2 原告は、本件事故後、岸本外科医院、真座外科医院、神谷医院、沖縄医療生活協同組合沖縄協同病院(以下「沖縄協同病院」という。)で、「頭部外傷、腰部挫傷、左手及び右肘部挫傷、頭頂部打撲傷、頸部捻挫、腰部打撲傷、外傷性頸椎症、第五腰椎分離症」等の傷病名の下に診療を受け、昭和五四年一月三一日までの期間に係る療養補償給付及び昭和五三年一二月三一日までの期間に係る休業補償給付を受けてきた。
3(一) その後、原告の昭和五四年一一月三〇日までの期間に係る療養補償給付及び休業補償給付の各請求に対し、被告は、原告の傷病は昭和五三年一月二〇日をもって症状固定、治癒しているとして、それぞれ不支給とする旨の各処分をし、沖縄労働者災害補償保険審査官(以下「審査官」という。)に対する各審査請求も棄却された。
(二) これに対し原告は、労働保険審査会(以下「審査会」という。)に再審査請求をしたところ、審査会は、昭和五七年四月二〇日付け裁決により、昭和五四年一二月二〇日をもって症状固定と判断するのが妥当とし、右療養補償給付不支給処分を取り消し、また、休業補償給付不支給処分については、原告は症状固定まで軽作業は可能であったとし、実診療日で賃金を受けなかった日について右処分の一部を取り消した(<証拠略>)。
(三) 更に、原告は、昭和五四年一一月三〇日までは全く就労が不可能で賃金を受けられなかった旨主張し、右裁決で取り消された部分を除くその余の休業補償給付不支給処分の取消しを求めて訴えを提起し、その結果、昭和六〇年三月一三日、右処分を取り消す旨の判決(以下「前訴判決」という。)があり(<証拠略>)、右判決は、同年四月二日、確定した。
4 原告は、従前に引き続き、沖縄協同病院、岸本外科医院、沖縄県立那覇病院、琉球大学医学部附属病院(以下「琉大附属病院」という。)、沖縄県立精和病院等で、「腰椎症、頸椎症、座骨神経痛、第五腰椎辷り症、頸椎椎間板症、腰椎間板症、神経症、頸肩腕症候群、精神身体症候群」等の傷病名の下に診療を受け、本件事故以前の期間に係る分や昭和五四年一二月二一日以降昭和五八年九月三〇日までの期間に係る分も含めて療養補償給付及び休業補償給付の各請求を繰り返していたが、これに対し被告は、昭和五四年一二月二一日以降の期間に係る請求については症状固定後であること等を理由に不支給とする旨の各処分をなし、これに対する各審査請求も棄却された。更に、原告の再審査請求に対し、審査会は、平成元年一月一一日付けで、前裁決を変更する事実は認められず、原告の業務上傷病は昭和五四年一二月二〇日をもって治癒固定したこと等を理由に再審査請求を棄却した(<証拠略>)。右裁決については、原告が訴訟を提起することなく確定している。
5 そして、原告の別紙(略)一覧表記載の各請求(<証拠略>)に対し、被告は、昭和五九年七月三一日付けで、原告の傷病は昭和五四年一二月二〇日をもって、症状固定、治癒しているので、その後の期間に係る請求については労災保険法一三条又は一四条に該当しないとして、療養補償給付及び休業補償給付を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をなした(<証拠略>)。これに対し原告は、昭和五九年八月三〇日、審査請求をしたが(<証拠略>)、審査官は、平成元年四月一九日付けで右審査請求を棄却した(<証拠略>)。そこで、原告は、審査会に対し適法に再審査請求をしたが(<証拠略>)、右請求から三か月を経過しても裁決がなされなかったことから、平成二年四月二四日、本件訴訟を提起したものである。
6 なお、被告は、症状固定の判断に基づき平成元年一二月五日付けで障害補償給付の支給決定をし、同月一二日原告に対し支給しているが、原告はその認定された障害等級を不服として審査請求をし、更に、これを棄却する決定に対し再審査請求を申し立てており、現在審査会の裁決はなされていない(原告本人)。
三 争点
労災保険法上、傷病が治癒した場合には療養補償給付及び休業補償給付は支給されないが、右治癒とは、病状が安定し、症状が固定して医療効果が期待し得ない状態になった場合を含み、その結果残された機能障害、神経症状等は障害補償給付の対象となるものと解される。
本件の争点は、原告の傷病が昭和五四年一二月二〇日の時点で症状固定、治癒していたといえるかどうかであり、この点に関しては以下のとおり主張がなされている。
1 被告の主張
以下に述べる事情からすれば、昭和五四年一二月二〇日の時点において、原告の症状は固定し、それ以後療養を継続しても医療効果は期待できず、かつ、原告は右の時点までに本件事故発生前から有していた既往症の元の状態にまで回復していることが認められ、被告の本件処分に何ら違法な点はない。
(一) 岸本外科医院、神谷医院、沖縄協同病院における原告の受療中の各診断書等から判明する原告の症状の推移、治療内容等の療養経過、なかんずく、同日以降の沖縄協同病院及び琉大附属病院での療養の経過を見ても、原告が愁訴する症状は一進一退の状況にあり、また対症療法継続施療がなされているにすぎず、原告の症状の改善傾向があったものとは認められない。なお、診断書の中には、原告の症状の軽減が見られる趣旨の記載がなされているものもあるが、右記載は、原告の要請により、その時の愁訴を記載したものにすぎず、療養の全過程からの他覚的所見によるものではない。また、原告が本件事故以前にかかっていた傷病名と同日以降の傷病名とはほとんど酷似している。
(二) 昭和五五年三月二八日付け復命の保険給付実地調査復命書(<証拠略>)によれば、沖縄協同病院の宮城康夫医師は、「原告の症状はすでに(昭和五四年二月以前)固定的であり、医学的な立場からはさほどの治療効果は期待できるものではないが、原告が疼痛を訴えてくるので人間としての医者の立場上牽引等の療養をせざるを得なかった。」旨口頭で回答したと認められる。
(三) 沖縄労働基準局地方労災医員大城整形外科医院大城徹医師は、昭和五四年六月一日、原告を診察した所見として、「筋力が全体的に劣るようであるが、腱反射の異常もなく精神学的には正常と考える。全経過から見て、今後治療をすることによって症状の改善は望み難いようである。しかし、一度だけの診察で決められることではないので、一定期間(本人の望んでいる)医療機関で治療を続けた上で再度診察をし、変化がなければ固定状態として治療を中止するのが妥当と思料します。労働意欲に欠けるような印象をうけた。」旨意見を述べている(<証拠略>)。
(四) 沖縄協同病院宮城康夫医師は、昭和五四年一二月二〇日付け診断書(<証拠略>)で、診断名「外傷後腰痛症、頸椎症、座骨神経痛、第Ⅴ腰椎辷り症」とし、「昭和五三年五月一〇日より腰痛、頸部痛、下肢痛、全身倦怠感持続し、頸部、腰部牽引、マッサージ、ホットパック、頸部、腰部の神経ブロック、消炎鎮痛剤の内服、注射等で加療中なるも症状は一進一退の状況である。」旨の所見を述べている。
(五) 審査官が、右大城医師に、沖縄協同病院の診療録(<証拠略>)、診療費請求内訳書(<証拠略>)、診療報酬明細書(<証拠略>)等を提示して意見を求めた(<証拠略>)のに対し、同医師は、昭和五九年一月三一日付け意見書(<証拠略>)により、「昭和五四年六月原告を診察した当時の診察結果(記録)と沖縄協同病院のカルテによる経過とを総合的に比較検討したところ、判然とした症状の改善はなかったものと思料される。」旨の診断をしている。
2 原告の主張
昭和五四年一二月二〇日以降も、原告の症状は年々徐々に改善してきており、昭和六二年一〇月九日までは首・腰の牽引、首・肩・両腕・両手のホットパック、マッサージ、投薬等の治療を受けていたが、同月一〇日からはこれらの治療を受けておらず、痛み止めの注射の回数も年々減少しており、この点は、沖縄協同病院屋良敏男医師作成の平成二年八月一四日付け証明書(<証拠略>)からも明らかである。前訴判決においても、昭和五四年一二月二〇日に原告の症状が固定したとする処分は明確に否定されているものである。
被告が症状固定の根拠としている前記保険給付実地調査復命書(<証拠略>)は、各種の記入漏れがあるなど証拠としての価値はなく、同じく大城医師作成の昭和五四年六月一日付け及び昭和五九年一月三一日付け各意見書(<証拠略>)も、記入漏れや訂正印漏れがあり、また、原告の診察日を誤る等の不備があって、証拠としての価値はないものである。
第三争点に対する判断
一 前記争いのない事実等に加え、本件各証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の各事実を認めることができる。
1 原告は、本件事故直後から昭和五三年三月ころまで、岸本外科医院で、「後頭神経痛、頸肩腕症候群、腰痛症、過敏性大腸症、慢性胃炎等」の傷病名で診療を受け(<証拠略>)、その間昭和五一年八月二八日、同月三一日には真座外科医院で「頭頂部打撲傷、頸部捻挫」の傷病名で診療を受けた(<証拠略>)。昭和五三年三月に転医し(<証拠略>)、同月から翌四月ころにかけては神谷医院で「頸部挫傷、腰部捻挫、過敏性大腸症、慢性胃炎等」の傷病名で診察を受け(<証拠略>)、同年五月ころからは沖縄協同病院で診療を受け始め、以後今日まで「外傷性頸椎症、外傷性腰椎症、第五腰椎辷り症、精神身体症候群等」の傷病名で同病院で受療している(<証拠略>)。また、昭和五四年六月一日には大城整形外科医院大城徹医師に「頸部、腰部挫傷」の診断名で診察を受け(<証拠略>)、昭和五五年三月ころからは県立那覇病院で「腰椎椎間板症等」の傷病名で診療を受け(<証拠略>)、昭和五六年三月ころから琉大附属病院精神科・神経科で「神経症」(<証拠略>)、昭和五七年九月ころから同病院整形外科等で「頸椎症、腰椎症等」(<証拠略>)の傷病名でそれぞれ受療し、更に昭和五九年一〇月ころからは同病院精神科から転医して県立清和病院で「神経症」の傷病名で診療を受け(<証拠略>)、今日に至っている。
2 原告は、かねてより多種の症状を訴えている(本件事故以前に原告が受療していた大野医院(<証拠略>)、浜松外科整形(<証拠略>)及び岸本外科医院(<証拠略>)における原告の愁訴は、肩、腰の痛み等で本件事故後に原告が愁訴する症状と類似のものである。)ものの、臨床検査による異常としては頸椎、腰椎にわずかの変形が認められる(<証拠略>)外、他覚的所見に乏しいものである。原告の愁訴についてみると、本件事故直後に診察を受けた岸本外科医院において後頭部痛、頸部痛、肩部痛、腰部痛等を訴え(<証拠略>)、その後昭和五四年一二月ころには頸部痛、肩部痛、腰部痛、両上肢・下肢のしびれ、全身倦怠感等を訴えており(<証拠略>)、本件事故から約一五年、右昭和五四年一二月ころからでも約一二年が経過した現在においても首・肩・腰の疼痛、手足のしびれ、全身倦怠感等を訴え(<証拠略>)、当裁判所における本人尋問の際にも首、肩、上肢、腰が痛いなどの症状があり仕事ができない旨述べている。
3 琉大附属病院精神科・神経科上地弘一医師作成の昭和五七年一二月二五日付け医療要否意見書(<証拠略>)に「原告の症状の訴えの背景には心理的要因もあるように思う。心理的要因があるとすれば労災補償が期待通りになされていないことが考えられる。」旨の、県立精和病院精神科中山勲医師作成の昭和六一年五月一〇日付け診断書(<証拠略>)、平成元年三月三一日付け意見書(<証拠略>)、平成三年一一月八日付け意見書(<証拠略>)に「多種多様の愁訴について、執拗的、誇張的、演劇的に訴えており、神経症的構えが認められる。」旨の、沖縄協同病院神経内科島袋博美医師作成の昭和六二年二月三日付け意見書(<証拠略>)に「精神医学的には賠償神経症の傾向を呈しており、誇張、病気への当否の要素を持っている。症状は強固であり、諸働きかけにも抵抗性を持っている。」旨の、同じく平成三年一〇月二五日付け診断書(<証拠略>)、同月一六日付け意見書(<証拠略>)に「同一薬物でも処分する医師によって効果が異なる等心因的な要素が強くなってきている。」旨の各記載があるなど、原告の現在の症状については、心因的な要素が強く反映している。
4 本件事故後今日までの各病院における原告の治療内容についてみるに、頸部・腰部牽引、ホットパック、マッサージ、神経ブロック、鎮痛剤の内服・注射、針、灸等理学療法的には対症療法を中心として治療が継続されてきている外、沖縄協同病院、琉大附属病院の各精神科及び県立精和病院においては、薬物等により精神療法がなされている(<証拠略>)。
5 沖縄労働基準局地方労災医員である前記大城徹医師は、昭和五四年六月一日、原告を診察した所見として、「筋力が全体的に劣るようであるが、腱反射の異常もなく神経学的には正常と考える。全経過から見て、今後治療をすることによって症状の改善は望み難いようである。しかし、一度だけの診察で決められることではないので、一定期間(本人の望んでいる)医療機関で治療を続けた上で再度診察をし、変化がなければ固定状態として治療を中止するのが妥当と思料します。労働意欲に欠けるような印象をうけた。」旨意見を述べている(<証拠略>)。
原告は、右意見書は不備があって証拠価値がないものである旨主張しているが、右意見書に意見の内容に影響を与えるような不備等は認められない。また、原告は、大城医師の右意見は審査会の裁決(<証拠略>)でも通らなかったものであると述べているが(<証拠略>)、右裁決が右大城医師の意見を採り入れた上判断していることは明らかであって、原告の右指摘は理由がない。
6 岸本外科医院岸本幸治医師は、昭和五四年一二月一四日付け意見書(<証拠略>)で、「同月七日現在の症状について、原告は昭和五三年一月二〇日より軽くなっていると述べているが、症状はほぼ固定的なもの(固定症状)と考えられる。」旨意見を述べている。
7 沖縄協同病院宮城康夫医師は、昭和五四年一二月二〇日付け診断書(<証拠略>)で、「昭和五三年五月一〇日初診時より腰痛、頸部痛、下肢痛、全身倦怠感持続し、頸部、腰部牽引、マッサージ、ホットパック、頸部、腰部の神経ブロック、消炎鎮痛剤の内服、注射等で加療中なるも症状は一進一退の状況である。」旨の所見を述べている。
8 昭和五五年三月二八日付け復命の保険給付実地調査復命書(<証拠略>)によれば、沖縄協同病院の宮城医師は、調査官に対し、「原告の症状はすでに(昭和五四年二月以前)固定的であり、医学的な立場からはさほどの治療効果は期待できるものではないが、原告が疼痛を訴えてくるので人間としての医者の立場上牽引等の療養をせざるを得なかった。」旨口頭で回答している。
原告は、右保険給付実施調査復命書には各種の記入漏れがあるなど証拠としての価値はない旨主張しているが、原告の主張する記入漏れ箇所はいずれも右調査事項の内容に直接関連のないもので証拠価値に影響を与えるものではなく、また、調査官古波蔵勲の押印については右復命書の上部調査官欄にその印影が認められることから、右復命書の作成の真正及び証拠価値に何ら問題はない。
9 審査官が、前記大城医師に、沖縄協同病院の診療録(<証拠略>)、診療費請求内訳書(<証拠略>)、診療報酬明細書(<証拠略>)等を提示して意見を求めた(<証拠略>)のに対し、同医師は、昭和五九年一月三一日付け意見書(<証拠略>)により、「昭和五四年六月原告を診察した当時の診察結果(記録)と沖縄協同病院のカルテによる経過とを総合的に比較検討したところ、判然とした症状の改善はなかったものと思料される。」旨の診断を示している。
原告は、右意見書には記入漏れや訂正印漏れがあり、また、原告の診察日を誤る等の不備があって、証拠としての価値はないものと主張しているが、右指摘に係る記入、訂正印はその漏れがあったとしても右意見書の証拠価値に格別の影響を与えるようなものではなく、診察日の誤りも証人大城の証言によれば単なる書き間違いであることが認められ、右意見の内容に影響を与えるものではない。
二 以上の各認定事実を総合すれば、昭和五四年一二月二〇日以降においても、原告の症状は一進一退の状況で推移しており、その改善傾向があったものとは認め難く、原告の傷病は、遅くとも同日において症状が固定し、もはや医療効果が期待し得ない状態になっていたものと認めるのが相当である。
原告は、同日以降も年々症状が改善している旨述べているが(<証拠略>)、前記認定事実及び前掲各証拠に対比して信用し難い。また、本件各書証中には原告の症状が軽快傾向にある旨の記載があるものも見受けられるが(<証拠略>)、いずれも療養経過からの他覚的所見によるものとは認められず、更に、沖縄協同病院の診療録(<証拠略>)の昭和五五年九月一九日の欄の「症状固定を否定する方向で検討してほしい」との記載、同病院島袋博美医師作成の昭和六一年二月八日付け診断書(<証拠略>)の「傷病が治った日」の欄の原告の筆跡による「ここはかかないで下さい」との記載に原告本人尋問の結果を合わせれば、原告が症状固定を否定するように各医師に依頼していたことが窺われること、また、前記岸本医師作成の昭和五四年一二月一四日付け意見書(<証拠略>)、同医師作成の昭和五七年八月六日付け紹介状(<証拠略>)、昭和五九年二月一四日付け療養補償給付請求書(<証拠略>)の琉大附属病院精神科・神経科上地弘一医師の証明欄等によれば、原告が各担当医師に対して症状が軽快傾向にある旨訴えていたことが認められることに照らし、前記各書証中原告の症状が軽快傾向にある旨の記載は単に原告の訴えの内容がそのまま書き記されたにすぎないものと考えられるのであって、右記載があることの一事をもって原告の症状が改善傾向にあったものと即断することはできない。更に、原告は、治療内容の変動を主張し、沖縄協同病院屋良敏男医師作成の平成二年八月一四日付け証明書(<証拠略>)によれば、昭和六二年一〇月に牽引、ホットパック、マッサージ等の物療を打ち切ったことが認められるが、これらの治療はもともと対症療法であったと考えられるから、右のような治療内容の変動だけで原告の症状の改善の有無を判断することはできず、更に、同病院においてはその後も神経科等で治療が加えられていることが認められる以上、原告の症状が改善されたものと認めることはできない。なお、原告の主張する前訴判決は、昭和五四年一一月三〇日以前に原告が就労可能の状態にあったかどうかという争点に係るものであって、原告の症状固定の時期に関する当裁判所の前記認定の妨げとなるものではない。
以上のとおりであって、他に、右の点に関する当裁判所の前記認定を覆すに足りる証拠はない。
三 よって、原告の傷病が昭和五四年一二月二〇日の時点で症状固定、治癒しているとしてなされた本件処分に違法はなく、原告の請求は理由がないのでこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 土肥章大 裁判官 河野清孝 裁判官 山田明)